2019年9月25日 磐田のヤマハコミュニケーションプラザ

ツーリング

仕事帰りに静岡県磐田市の
ヤマハコミュニケーションプラザに行ってきました。

コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機
「過去・現在・未来」と「コミュニケーション」をキーワードにヤマハ発動機とその製品を紹介する企業ミュージアムです。

ジュビロ磐田のフラッグが街灯に下がっています。

2020年型YZF-R1Mプロトタイプ

YZF-R1の鈴鹿8時間耐久仕様
右から2016、2018、2019年型のようです。

かつての750cc TT-F1時代の鈴鹿8時間耐久マシンYZF750
右から1985、1987、1990年型のようです。

ケニー・ロバーツ/平忠彦組で優勝寸前まで行った85年型
このⅠ型はFZR750と呼称

86年の8耐でケニーさんの生の走りを見ましたが
コーナー奥までの深い突っ込みから素早くリーンさせるライディングは
GPのビデオで見たそのままで感動したのを覚えています。

3輪バイクのNIKEN(ナイケン)

自律走行電動バイクのMOTOROiD(モトロイド)

既存のオートバイにまたがってレーシングペースで走れるというロボット
MOTOBOT Ver.2(モトボット バージョン2)

トヨタ2000GT


ヤマハのピアノ工場で一台づつ職人の手で組み立てている
と子供のころ雑誌で読みました。

2000GTの3M型直列6気筒DOHCエンジン

こちらは初期型セリカやレビン、トレノの2TG直列4気筒1600cc DOHCエンジン

レクサスLF-A


トヨタF1のノウハウを生かしたというV10エンジンは
ヤマハ製らしいですね。

F1マシンのジョーダン192/ヤマハ

ジョーダン/ヤマハのヤマハOX99 60バルブV12エンジン

バブルの名残のあったころで
このエンジンを搭載したスーパーカーも試作されてましたね。

こちらは97年のハンガリーGPで
デーモン・ヒルが優勝寸前まで行ったアローズ/ヤマハのOX11A V10エンジン

ヤマハ最初の2輪車YA-1 通称赤トンボ、125cc

うちの亡き父親もかつて乗っていて仕事や
母親とのデートバイクとして
大活躍してくれた思い出のバイクです。

YA-1の浅間火山レース仕様

レーシングカートのKT100

うちの弟が堺カートランドのSL選手権で優勝したことのある
こちらも我が家にとっては思い出深いマシンです。

ヤマハTZ250

またがってみましたがコンパクトなライディングポジションは
かつて自分が乗っていたホンダRS250Rを彷彿とさせて
いろいろな思いが沸き上がってきました。

YDS-1

SR500

RZ250

この後継モデルのRZ250R(1AR)に乗っていたことがありますが
まだ中型バイクを乗りこなす技量がなく手放したので
いまだに片思いのような感情があります。

FZ400R

RZV500R

RG500ガンマを購入するときに最後までどちらにするか迷ったバイク

後方排気TZR250

知人のに乗せてもらいましたがいまひとつピンと来ませんでした
ヤマハの2ストがある意味迷走していた時期なのかも

YZF-R1初期型

500ガンマを売り払って
このバイクに乗り換えようか考えたのを思い出します。

高野竜神スカイラインで遭遇したことがありましたが
10年分の進化を感じさせる安定した速さでした。

逆を言えばこのバイクに乗っていたらある種やりきった感があって
早々にバイクを降りていたかもしれません。

パリダカマシンのスーパーテネレ91年型

75年型YZR500(0W23)

ジャコモ・アゴスティーニのチャンピオンマシン
金谷秀夫さんも優勝。
ピンぼけな写真になってしまいました。

78年型YZR500(0W35K)

ケニー・ロバーツの3年連続チャンピオンの初年度のマシン。

84年型YZR500(OW76)

エディ・ローソンが初のチャンピオンをとったマシン。
このカラーリングは平忠彦選手の全日本チャンピオンマシンのようです。

85年型YZR500(0W81)

平忠彦選手が3回目のチャンピオンを取ったマシン。

86年型YZR250(0W82)

カルロス・ラバートがチャンピオンを取ったマシン。
このカラーリングは平忠彦選手のサンマリノGP優勝車のようです。

87年型YZR500(0W86)

90年型YZR500(0WC1)

ウェイン・レイニーさんの3年連続チャンピオンの最初の年。

92年型YZR500(0WE0)

ウェイン・レイニーさんの3回目のチャンピオンマシン。
位相同爆ビッグバンエンジンの最初の年ですね。
鈴鹿日本GPの予選を現地で見ていて、ミック・ドゥーハンのNSR500の
異様に低い排気音で1コーナーからS字間の川になったところでも
まったくホイールスピンしない様に
なんだろうと思ったのを思い出します。

93年型YZR500(0W2F)

デルタボックスから引き抜き材フレームになって
開発の方向性が迷走しだしたきっかけのバイクという印象です。
92までの方向性で行ってたら阿部典史選手も、もっと活躍したかなあ
という素人なりの感想を持ちました。

93年型TZ250M(0WF3)

原田哲也選手のチャンピオンマシン。

2000年頃にランディ・マモラさんがデモンストレーションで
乗られていたYZR500の2シーター

現行のMotoGPマシンYZR-M1
私には何年式かは分かりません。

YZR-M1のクロスプレーン並列4気筒エンジン。
非常にコンパクトです。

現代のオートバイ群

駆け足で1時間ほどの訪問でしたが
11月の鈴鹿サウンドオブエンジンにはケニーさん、エディさん、レイニーさんが
お見えになるということで良い予行演習になりました。

これでホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのミュージアムを
全てコンプリートしましたが
もてぎに移ってからのホンダコレクションホールには
まだ行ったことがないので
MotoGPを観戦がてら行ってみたいものです。

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