2022年9月3日 浜松のスズキ歴史館

ツーリング

台風11号が近づき豪雨災害もある中、たまたま晴れの日に浜松に行く機会があったので「スズキ歴史館」に2回目の訪問をしてきました。


玄関正面に展示されていたのは2輪のフラッグシップ「隼」


それと新旧のカタナ

MotoGPのワークスマシン GSX-RR も展示されていました。今年限りでいったん参戦中止ということで残念です。1987年のように縁を切らず再参戦を果たしてほしいと思います。


ジョアン・ミルがチャンピオンを獲った2020年型


アレックス・リンスが優勝を記録した2019年型

こちらも今年限りでワークス参戦中止らしい鈴鹿8耐マシン。


1980年の8耐優勝車 ヨシムラ・スズキGS1000R グレーム・クロスビー/ウエス・クーリー組


1983年の8耐優勝車 GS1000R フランスの耐久チームのエルブ・モアノー/リカルド・ユービン組。ヨシムラチューンのエンジンをスズキ・レーサーグループ開発のアルミフレーム「XR41」に搭載。

私が初めて8耐を観戦したレースでした。ゴディエ・ジェヌー/カワサキやこのマシンの迫力ある姿は今の洗練されたスーパーバイクとはまた違った魅力があります。

ヨシムラ・スズキGSX-R1000が2台。


2007年の8耐優勝車(K7) 加賀山就臣/秋吉耕佑組
竜洋テストコースで行われたスクエア4オーナーズミーティングで秋吉耕佑選手に優勝報告とデモランを頂いたのは忘れられない思い出です。


2009年の8耐優勝車(K9) 酒井大作/徳留和樹/青木宣篤組

ヨシムラの来年の全日本復帰はあるんでしょうか?体制発表を待ちたいと思います。

ここからは自らの記憶を整理する意味も兼ねて、時系列順に写真を並べてみることにします。


スズキは織物を編み上げる織機のメーカーとして1909年に始まったそうです。創業者の鈴木道雄氏銅像。


道雄氏が発明された織機の再現モデル


自動織機のA46型片側四挺杼(よんちょうひ)1955年

自動織機は一度工場に納入してしまうと長期間代替需要が発生しないため、新しい収益源として原動機付自転車を開発されたのがスズキ自動車の始まりだということです。


初期の38cc 2サイクルの原付「パワーフリーE2」1952年

最大排気量の2サイクル50ccになった「ダイヤモンドフリーDF」1953年


「ダイアモンドフリー」で日本~フランス32箇国走破を成し遂げた高橋兄弟の現車


4サイクルOHV 90ccの二種原付「コレダCO」1954年


「コレダCO」を125ccに排気量アップした「コレダCOX」1955年


2輪のキャデラック「コレダ250TT」1956年 2サイクル250cc 2気筒


スズキ初の4輪市販車「スズライトSL」1955年 FF駆動 空冷2サイクル360cc 2気筒。形はセダンですが、椅子を起こすと貨物車として使えるという建前でライトバンとして登録。当時の物品税の減免を受けられるようになっているそうです。80年代にも4ナンバー軽ボンネットバンのブームがありましたがその先駆けになった車のようです。


「スズライト キャリイFB」1962年 FR駆動 空冷2サイクル360cc 2気筒。「ダイハツ・ミゼット」に対抗して開発されたスズキ初の軽トラ。若き日の鈴木修前会長が工場立ち上げから参画された車両だそうです。


「スズライト フロンテTLA」1962年 FF駆動 空冷2サイクル 360cc 2気筒。長く続いたフロンテという車名を冠された最初の車。

改良型のFEAが1963年、鈴鹿サーキットで開催された第一回日本グランプリレースの軽四部門で1,2,4位を独占。現車はゼッケン付きなのでFEAグランプリ仕様を模したものかもしれません。

優勝ドライバーは望月修さん。

この方の1977年の著書「フォーミュラカー」は私がモータースポーツのイロハを学んだバイブルです。


「スズライト フロンテFEA-2」1965年。FF駆動 空冷2サイクル360cc 2気筒。


2代目キャリイ「スズライト キャリイ L20」1965年 FR駆動 空冷2サイクル360cc 2気筒。アサヒビール仕様車。


スズキ初の小型車「フロンテ800」1965年。FF駆動 水冷2サイクル800cc 3気筒。


マン島TT 50ccクラス優勝のRM62 空冷2サイクル・ロータリーバルブ 50cc単気筒 1962年 エルンスト・デグナー。
デグナーは東ドイツ出身のレーシングライダーで、当時鉄のカーテンの向こう側にあったMZ社の2ストローク・エキパンションチャンバーの技術を日本にもたらして亡命され、スズキのワークスライダーとして活躍された方だそうです。鈴鹿サーキットの1963 WGP日本GPで転倒、マシンの火災に巻き込まれ現役を引退されました。今に残るデグナーカーブの命名はこの事件にちなんだものです。


スズキ初のスーパースポーツバイク「T20」2ストローク250cc 2気筒 1965年。初代仮面ライダーの「サイクロン号」に改造されたことでも有名。


2ストローク500cc 2気筒のスーパースポーツ「T500」1965年。輸出用のペットネームは「タイタン」。エンジンはロードレーサーに転用され「TR500」としてWGP500クラスにも出場しました。


ホンダの並列4気筒CB750に対抗して開発された水冷2ストローク並列3気筒の「GT750」1971年。輸出用のペットネームは「ウォーターバッファロー」。エンジンはアメリカのデイトナ200マイルレース用に「TR750」と言う名前で転用され、あまりの速さに「スーパーバイク」と呼ばれました。現在に続く「スーパーバイク」の呼び名はこのマシンが始まりらしいです。


ロータリーエンジン搭載の輸出専用バイク「RE-5」1975年。スズキのアルミシリンダー用メッキ技術「SCEM」はこのバイクで初採用されたようなことをどこかの本で読んだ気がします。


RR駆動 空冷2ストローク 3気筒になった2代目フロンテの高性能版「フロンテSS」1968年。現車はF1で「無冠の帝王」として知られるスターリング・モスと日本人初の2輪世界GP優勝者伊藤光夫さんが、イタリアの速度無制限の高速道路「アウトストラーダ・デル・ソーレ」で高速耐久テストをされた車両。


4輪駆動車ジムニーの初期型「ジムニーLJ10」1970年。空冷2サイクル360cc 2気筒。


ジウジアーロにデザインコンサルタントを依頼したフロンテのスポーティモデル「フロンテクーペ」RR駆動 水冷2サイクル3気筒 360cc 1971年

チューンすると恐ろしく速くなる車で、一度バイクで峠の下りを走っていた時、シャコタンのこの車にピッタリ付かれてヒヤリとした覚えがあります。


1976年の軽自動車規格改定(550ccに拡大)を受け443ccに排気量アップされた「フロンテ 7-S」1976年。RR駆動 水冷2サイクル 3気筒。

現在に続く「アルト」の初期型 FF駆動 水冷2サイクル550cc 3気筒 1979年。女性ユーザーをターゲットに47万円という価格設定で発売。「ダイハツ・ミラ」と共に 4ナンバー軽ボンネットバンのブームを担った車。

この車両のエンジンを使用した、日本独自のフォーミュラカーFL(フォーミュラ・リブレ)550は2ストロークの甲高いエンジン音とオイルの焼ける匂いの漂う独特のレースでした。1983年に鈴鹿で一度だけ実戦を、また2018 Sound of Engineではエキシビジョン・レースを観た覚えがあります。


ドイツのハンス・ムートのデザインで、流麗なスタイルにより今でもスズキのアイコンとして知られる「GSX1100S KATANA」1981年



2輪WGP 500ccクラスでメーカータイトル7連覇を成し遂げた水冷2サイクル4気筒のレーサーRG500の1980年型「RGB500 XR34」グラシアーノ・ロッシ。


スズキ100周年企画「RG500」のストーリー動画


RG500の1981年型「RGΓ(ガンマ)500 XR35」ランディ・マモラ。イタリアチームのマルコ・ルッキネリ選手がライダータイトル獲得。


スズキ100周年企画「XR35」のレストア動画


RG500の1982年型「RGΓ(ガンマ)500 XR40」。ライダータイトルを獲得したイタリアチームのフランコ・ウンチーニ車。


RG500のタイトル7連覇の勢いを駆って販売され、レーサーレプリカブームの火付け役となった市販車「RG250Γ(ガンマ) GJ21A」2ストローク250cc並列2気筒。


排気デバイス装着やサスペンション改良などを受けた「RG250Γ(ガンマ) GJ21B」3型 1985年。


RG500のエンジンレイアウトをそのままにフルコピーと言える内容で発売された市販バイク「RG400Γ(ガンマ) HK31A」2サイクル400ccスクエア4。手前に置いてあるのは地元「梅澤鋳工」製のアルミ砂型鋳造中空構造のステアリングヘッド。開発エンジニアの藤原さんが製造の依頼に梅澤鋳工に出向いた際、アルミ砂型鋳造の巨大なボートが展示してあるのを見て、その技術力に圧倒されたというエピソードがあります。フルサイズの「RG500Γ(ガンマ) HM31A」も発売。


耐久レーサー「GS1000R」のレイアウトをそのままに油冷エンジンを搭載した「GSX-R750 GR71F」1985年。当時の全日本TT-F1を席巻した「ヨシムラ・スズキGSX-R750」のベースモデルです。


カタナのハンス・ムートのデザインによる「GSX400X IMPULSE」1986年 通称「東京タワー」。好き嫌いの分かれる個性的すぎるデザインですが、鈴菌保菌者としては忘れられないモデルです。


「GSX-R750」と同様の油冷エンジンで1100ccにパワーアップした「GSX-R1100 GU74A」1987年。輸出専用モデル、海外で絶大な人気を誇りました。


HY戦争の煽りを受けてスズキはいったん1983年を持ってGPレースから撤退しますが、1987年に正式に復帰。復帰後初のWGP日本GP優勝車「RGV-Γ(ガンマ)500 XR-74」ケビン・シュワンツ 1988年。


バブル景気でスポーツカーの需要が高まっていた当時、発売された軽四のスポーツモデル「アルトワークス」の初期型 1987年。4ストローク660cc DOHC 3気筒 インタークーラーターボで64PS。軽四の馬力規制のきっかけになったハイパフォーマンスモデルです。


ケビン・シュワンツがWGP500ccライダータイトルを獲得した「RGV-Γ(ガンマ)500 XR79」1993年。数年間に渡るヤマハのウェイン・レイニー選手との激しいライバル関係の末にチャンピオンを獲得したマシン。一方でレイニー選手の負傷によるリタイアという出来事もありました。


スズキはオートレース用オートバイのエンジンを1993年から供給しています。
そのエンジン「セアAR600」4ストローク並列2気筒600ccのカットモデル。


現在に続く軽トールスタイルの源流となった「ワゴンR」の初期型 1993年


スズキの2輪フラッグシップモデル「隼」の初期型「GSX1300R」1999年


ケニー・ロバーツJrのWGP500ライダータイトル獲得マシン「RGV-Γ(ガンマ)500 XR B0」2000年。チャンバーはSRSスガヤの菅谷安智さんのお手製だったそうです。


世界戦略車として開発され、小型4輪のスポーツモデルとしては定番となった「スイフト」の2代目 2004年。


ラリーJWRCの常勝マシン「スイフト スーパー1600」2005年



世界ラリー選手権 WRC 参戦の為に開発されたWRカー「SX-4 WRC」2007年。本格参戦はなりませんでした。


2011年型MotoGPマシン「GSV-R」800cc V4 ニューマチックバルブ。ライダーはアルバロ・バウティスタ。


油冷エンジンの白バイ「GSF1200P」2004年。2005年、2007年のスズキ竜洋テストコース、スクエア4ミーティングではレーシングライダーによる走行、参加者による試乗が行われました。スーパースポーツに目を奪われていましたが、自分も乗っておけばよかったな。


59,800円という限界までの廉価を追求した原付バイク「チョイノリ」2003年



大人気でバックオーダー山積みという現行型「ジムニー」

一つご提案ですが、モンスター田嶋こと田嶋伸博さんのパイクスピーク・マシンの展示があるとファンとしてはうれしいと思いました。

2回目ということもあり駆け足の観覧となりましたがいい振り返りができました。スズキ様ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました