世界GPについては手持ちの資料が少ないので、全日本戦の話題をおもに取り上げています。
’76 RG500 Ⅰ
’75XR14レプリカ。
56×50.5mmのボアストローク
76年のフィンランドGPに、
RG500Ⅰを駆って優勝したアメリカン、パット・ヘネン。
翌年、ワークスの「テキサコ・ヘロン・チーム・スズキ」に抜擢されま した。
ほかにも、マルコ・ルッキネリなどが活躍。
76年の500ccクラスは、上位10人中9人までを RGライダーが占め
偉大なチャンピオン、ジャコモ・アゴスティーニ までが
誇りたかい「MVアグスタ」のワークスマシンから
市販のスズキRG500に乗り換えるという珍現象まで巻き起こしました
岩崎勝選手によるRG500の国内デビューウィンはこの年
当時は350/750がMFJの最高ランクのカテゴリーで
ヤマハTZ350/750が主流だったようです
76年のチャンピオン 350cc 佐藤順造/ 750cc 高井幾次郎
’77 RG500 Ⅱ
77年のチャンピオン 350cc 鈴木修 / 750cc 毛利良一
’78 RG500 Ⅲ
78年のチャンピオン 350cc 石川岩男/ 750cc 上野真一
’79 RG500 Ⅳ
ボア・ストロークが54×54mmに、以後は最終型までこのボア・ストロークとなります 。
しかしまだシリンダーが段違いになっておらず、クランクケースもRG500Ⅰ以来
大きな変更のないもので、カセットミッションでなくGSX-R1000のような
三段重ねの構成になっているようです。
大柄でサスペンションストロークをたっぷりとった安定性指向のセッティング
ホイールサイズは前後とも当時の主流であった18インチ
リアサスペンションはまだ、二本ショックのレイダウンサスです
実際の市販型ではカンパニョーロのマグホイールを装着した状態で輸出されたようです。
エンジン | 水冷2ストローク4気筒 |
バルブ機構 | ロータリーディスクバルブ |
内径×行程 | 54mm×54mm |
総排気量 | 495cc |
圧縮比 | 8.2 |
キャブレター | VM34SS |
変速機 | リターン式6段 |
キャスター | 29度 |
トレール | 125mm |
タイヤサイズ | 前3.25-18-4PR 後4. 00/5.75-18ー4PR |
乾燥重量 | 143kg |
全長 | 2037mm |
全幅 | 610mm |
全高 | 1195mm |
軸距 | 1405mm |
最高出力 | 110HP/11000rmp以上 |
最大トルク | 7.2kg-m/10750rmp以上 |
最高速度 | 270km/h以上 |
輸出専用
1979年の他社のGP500ロードレーサーなど
4ストローク32バルブV4のホンダNR500がGPにデビュー
500の開発競争が一気に加速されることに
鈴鹿サーキットの公開テストで初披露された、79年型NR(0X)
20、000回転以上のレブリミットを実現する長円形ピストン
アルミセミモノコックフレームに前後16インチタイヤ、サイドマウン トラジエーター
など新技術目白押しの究極の「走る実験室」
後を追うように80年には、
カワサキが、KR250/350のノウハウを生かした
2ストロークスクエア4を、独創的なバックボーン型フレーム
(早い話しがZX-12Rのあれです)に搭載した、
KR500をコーク・バリントンとグレッグ・ハンスフォードに託してGP500に参戦します。
最終型となった’82KR500(コーク・バリントン)
79年のチャンピオン 350cc 木下恵司/ 750cc 水谷勝
’80 RG500 Ⅴ
スペインGP、RG500 V(片山敬済)
スタビライザー付きのスイングアームを採用。
1980年の他社のGP500市販ロードレーサーなど
ヤマハからYZR500をベースにした、
ピストンバルブパラレル4の市販レーサーTZ500が初めて発売されます。
当時は500の市販レーサーが200万円台で買えてたようですね。
’80TBCビッグロードレースのTZ500(バリー・シーン)
80年のチャンピオン 350cc 平忠彦 / 750cc 鈴木修
’81 RG500 Ⅵ
’81イギリスGP
4メーカーのワークスとのバトルを制したジャックミドルブルグのRG500改
レース中盤のトップ争い、ちなみにすべての車両がロータリーバルブ、スクエア4。
#3がスズキRGγのランディー・マモラ。#1はヤマハYZRの”キング”ケニー・ロバーツ。
#11は市販RGのプライベーター、ジャック・ミドルブルグ。
マモラの後方の緑のマシンはカワサキKR500のコーク・バリントン。
結局このレースを制したのは最終ラップでキングケニーとの一騎打ちに勝ったミドルブルグでした。
当時でもワークスマシンにプライベーターが勝つことは考えられなかっただけに、
RGシリーズの圧倒的な優位性をものがたるエピソードですね。
日本GP優勝のRG500 Ⅵ(水谷勝) FフォークにANDFを装備。
1981年の他社のGP500市販ロードレーサーなど
この年から350/750クラスに替わって全日本500ccクラスが始まり、
ヤマハの木下恵司選手(’81、’86チャンピオン)が
改良型TZフレームにYZRエンジンを載せた
’82TZプロトで最初のチャンピオンとなります。
ホンダNR500が全日本ロードレースに初お目見えしたのはこの年。
開幕戦鈴鹿Big2&4での痛恨のダブル転倒。
鈴鹿200キロでの故木山賢悟選手による全日本唯一の優勝。
などのドラマがありました。
開幕戦、鈴鹿Big2&4に姿をあらわした、’81NR500 (2X)(片山敬済)
1981年のランキング
1st | 木下恵司 | ヤマハ |
2nd | ||
3rd | ||
4th | ||
5th |
’82 RGB
’80RGB-M2レプリカ、前年型のRGガンマのノウハウも投入されたバイクのようです。
この型で大幅な改良が施されます。
ワークスノウハウのフィードバックで
運動性を重視した、タイトな車体構成になり、
エンジンが段違いスクエア4に。
リアサスペンションもフルフローターに変更。
DYMAG(ダイマグ)のマグネシウム鋳造ホイールを標準装備。
このマシンはFブレーキキャリパーがRGガンマと同じ大型のものになり、チャンバーも
RGガンマ同様の空き缶サイレンサータイプに変更されています。
エンジン | 水冷2ストロークスクエア4気筒 |
バルブ機構 | ロータリーディスクバルブ |
内径×行程 | 54mm×54mm |
総排気量 | 495cc |
圧縮比 | 8.5 |
最高出力 | 115hp/11000rmp以上 |
最大トルク | 7.5kg-m/10750rpm以上 |
キャブレター | ミクニVM36SS×4 |
変速機 | リターン式6速 |
キャスター | 30度 |
トレール | 97.5mm |
タイヤ | 前300/400-18 後 375/560-18 |
全長 | 2037mm |
全幅 | 610mm |
全高 | 1195mm |
軸距 | 1405mm |
乾燥重量 | 137kg |
標準現金価格 | \2,900,000 |
このマシンを駆って水谷勝選手が全日本500二代目のチャンピオンに。
並み居るワークスマシンを置いて、出場した7戦すべてに優勝。
1982年の他社のGP500市販ロードレーサーなど
ライバルのTZ500は外側二気筒を後方排気としたOW48Rレプリカ仕様となります。
82年、第8戦菅生のTZ500(毛利良一)
この年まではワークスマシンにはポイントが与えられなかった為、
高井幾次郎選手や金谷秀夫選手のヤマハYZR500
石川岩男選手や酒井清孝選手のRGγ500は賞典外の出走となっていました。
81年第5戦菅生、#18石川岩男(XR35)と #3高井幾次郎(OW53)のトップ争い
82年の鈴鹿日本GPは4メーカーの500が国内レースに揃い踏みした唯一の機会でしたが
折から接近の台風の為、幻のレースとなってしまいました。
強風と豪雨のなか、観客にレース中止を呼びかけるワークスライダーの 面々
水谷勝(スズキ)、片山敬済(ホンダ)、和田将弘(カワサキ)、清原 明彦(カワサキ)、徳野正樹(カワサキ)
1982年のランキング
1st | 水谷勝 | スズキ |
2nd | 上野真一 | ヤマハ |
3rd | 酒井清孝 | スズキ |
4th | 平忠彦 | ヤマハ |
5th | 島田進 | ヤマハ |
’83 RGB Ⅱ
チャンバーが標準でRGガンマ同様の空き缶サイレンサータイプに。
ホイールがカンパニョーロ(現在のテクノマグネシオ)製の5本スポークに。
前年の大クラッシュから世界GPへ奇跡の復活。
この年はプライベート契約だったバリーシーンのRGB。
シーズン途中からRGγのエンジンを貸与されました。
’83筑波フェスティバル(ノンタイトル)での
島田進(RGB)と伊藤巧(RGB)のトップ争い。
1983年の他社のGP500市販ロードレーサーなど
ホンダから三気筒NS500の市販バージョンRS500Rが発売されました。
それまでの空冷単気筒マシンとはすっかり様変わりした本気ぶり。
全日本500はヤマハワークス入りした平忠彦選手がYZR500で初のチャンピオン。
’83全日本第2戦筑波、500初優勝の表彰台。
左は2位の藤本泰東(やすあき)/ヤマハ、右は3位の阿部孝夫/ホン ダ。
鈴鹿日本GPのスペンサーショックもこの年。
スタート直後のトップグループ。
ロケットスタートを決めた #01フレディ・スペンサー(ホンダ)に食い下がった
#10木下恵司(ヤマハ) はこのあとスプーンコーナーでスリップダウンし脱落。
ひとり別のレースを走るがごとき独走ペースに入ったスペンサーは
2位 #6平忠彦(ヤマハ)に14秒の大差をつけゴール。
現世界チャンピオンの格の違いをみせつけたレースとなりました。
1983年のランキング
1st | 平忠彦 | ヤマハ |
2nd | 木下恵司 | ヤマハ |
3rd | 阿部孝夫 | ホンダ |
4th | 伊藤巧 | スズキ |
5th | 島田進 | スズキ |
’84 RGB Ⅲ
市販RGの最終型。RGシリーズの総決算ともいうべきマシン。
エンジンはRGBⅠ以来の改良型ながら
車体は16インチFタイヤにアルミフレームを採用した’82~83γのレプリカ仕様。
この充実した内容で、価格は327万円。
ホンダRS500Rの600万円と比較すると、異例の大バーゲンであったことが解ります。
84年の世界GPで善戦した
#12ブット・ファン・ドルメンのニコバッカーRGB。
後方の#15は、チームガリーナのセルジオ・ペランディーニ(RGγ)。
#7は、ハリスRGγのバリー・シーン。
’84TBCビッグロードレースのRGBⅢ(実はRGγ?)(水谷 勝)。
ウェイン・レイニーのYZR500に競り勝ち、総合4位。
ベストプライベーターに贈られる高井幾次郎杯を賜杯。
84年の全日本500は平選手の二連覇、
翌年も続いて三連覇で世界GPへの切符を手にすることとなります。
GPの前哨戦となった86年の鈴鹿Big2&4のトップ争い。
#1平忠彦 と、#15八代俊二(モリワキ・エンジニアリング /’85ホンダNSR500) 。
予選なみのラップタイムを連発し、路面にブラックマークを描きながら のドッグファイト。
1984年のランキング
1st | 平忠彦 | ヤマハ |
2nd | 木下恵司 | ホンダ |
3rd | 河崎裕之 | ヤマハ |
4th | 水谷勝 | スズキ |
5th | 鈴木修 | ヤマハ |
1985年のランキング
1st | 平忠彦 | ヤマハ |
2nd | ||
3rd | ||
4th | ||
5th |
その後のRGBⅢ500
RGBⅢは、80年代終盤まで活躍しました。
わたしが記憶している、主要なプライベート・ライダーの紹介です。
福島秀彦
「チームSRS久保」所属、伊藤巧選手のチームメイトということになります。
あまり目立った印象がありませんが、市販RG勢のトップを走っていたライダー。
斎藤仁
アパレルブランドのPERSON’Sがスポンサード。当時のレース人 気を物語る画像。
自身のショップ”JIN PRIZE”からエントリー。
当時の「オートバイ」誌の新型車テストには毎回のように登場した人気者。
GSX-R(400)ターボを開発し話題を集めたことも。
山名久
キョーエイ・レーシングから出場した’87日本GP
スズキの社内チーム「浜松チームタイタン」からエントリー。
GSX-R750で8耐などにも出場した、
いわばスズキのプロダクションレーサーのエキスパート的存在。
藤原儀彦
「MS梶ケ谷レーシング」からエントリー。
RGBⅢでの善戦ぶりをみとめられて、
YZR500を貸与され、’87全日本500チャンピオンに。
ファクトリー契約となり、88、89と平忠彦に続く3連覇。
名実ともにヤマハワークスのエースとなりました。
松本憲明(けんめい)
画像は、EXRTからエントリーした、88年
「MS梶ケ谷レーシング」からエントリー。
ワークスマシン全盛の、バブリーな全日本500にあって、
年式落ちのRGBⅢやRS500Rを駆使し、
ひとりドンキホーテ的な挑戦をつづけられる姿は
ある種感動的ですらありました。
松本憲明選手らが乗った最終形のRGB500には、排気デバイスSAECを装着した
シリンダーや排気系がキットパーツとして存在したらしいです。
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