’87~’92 ホンダRS250R (NF5)

ホンダRS250R

まえがき

クランクケース・リードバルブエンジンになった”NF5”

フレディ・スペンサーが、85年のWGPで250/500のダブルチャンピオンを獲得したときのスペシャルな「ホンダRS250RW」が元になっています。

スパ・フランコルシャンのオールージュを全開で駆け上がるRS250RW (フレディスペンサー)

スペンサー専用「ホンダRS250RW」のシャシー(なんか、アニメの「ガ○○ム」みたいね)

85年の500ccチャンピオンマシン「ホンダNSR500(NVO TYPE2)」の エンジンを縦に半分に割った形でパーツやレイアウトを共有化したクランクケースリードバルブの90度一軸Vツインエンジン。フレームも500の設計思想を取り入れた、立ちあがり重視のアライメントを採用。市販の85年型「ホンダRS250R」とは、全くと言ってよいほど互換性がありません。

パワードリフトでコーナーを立ちあがる、85年型のNSR500(フレ ディ・スペンサー)。

86~91年のワークスマシン「ホンダNSR250」も、RS250RWと構造と一にしています。

86年、春のデイトナに登場したNSR250(アントン・マンク)
NSRという名前がついた最初の250。


 

87年型

富田英志選手/鈴鹿レーシングの87年型RS250R。
カウリングとシートはFRP、ガソリンタンクはアルミ製。ガソリンタンクのマウントはゴムバンドによる簡単なもの。

シートカウルに見える半円形の穴から、チョークを引いたりといったキャ ブの操作ができるようになっています。右2本出しチャンパーは、この87年型のみに見られる仕様のようです。

※チョーク
正確にはバイスターターと言い、メインボアの横にもうひとつ、始動専用の吸気経路を追加したものです

NSR250(RS250RW)をベースにしたケースリードバルブ90度Vのエンジンになりました。フロント廻りのアライメントも”NSR500”にならった、現代的なものになっています。この型で、RS250Rの基本仕様が完成したことになります。「マグテック・ホイール」のサイズは、標準でF3、00×17/R3、50×18。

Rブレーキは、同社製のスクーター(リードだったか、ビートだったか)と共通部品。市販レーサーゆえのコストダウン策。

このころから「AVガス(アブガス/アビエーションガソリン)」という航空燃料(リサーチオクタン価101少々)の使用が一般的となってきました。エンジン性能が年々先鋭化し、カタログ・データなどは有名無実化していきました。ホイール幅も、ラジアルの普及に伴って年々ワイド化していきます。日進月歩の技術に合わせて「AVガスヘッド(AVガス対応の高圧縮シリンダヘッド)」とか「AVガスチャンバー」イタリア製の軽量なマグネシウムホイール(テクノマグネシオ通称テクマグや、マービック)などの高価なオプション品を次々に買いかえるのが 当たり前の時代でノーマルで乗ってるひとは少なかったと思う。思えばすげー時代だ…うーんバブリー。

’87RSと時を同じくして発売された、市販車の「ホンダNSR250R(MC16)」も、RS250R(NF5)の姉妹車

’87NSR250R
HRCワークスカラーが、ホンダの意気込みを感じさせます。

NSR250Rをベースにした、TT-F3のコンプリートマシン”NSR250RK”も発売。

NSR250/RS250R/NSR250Rの三台は、 いわばRS250RWを母胎とした三姉妹ということになります。
三つのエンジンを見比べてみると…

ワークスNSR250(86型?)のエンジン。
遠心ガバナーで作動する排気デバイス”ATAC”のリンクが見てとれます。キャブレターは、85年型”RS250RW”ではマグネシウム・ボディの二連装・強制開閉式という「ホンダNSR500」に準じるものでしたが、この86年型の画像では一本引きのコンベンショナルなもの、87型ではPJフラットバルブへと変遷しています。数多くのワークスライダーへ供給するための、コスト優先の処理のようです。

’85「ホンダRS250RW」のマグネシウム製キャブレター(34mm径)

RS250R(NF5)のエンジン。
冷却水のエア抜き要領を示す図なので、煩雑なかんじです。m(_ _)mこのエンジンは88型ですので、排気デバイスは電動式のRCバルブになっています。キャブレターはPJ38フラットバルブ。

トランスミッションは、カセットミッションを採用。

市販車のNSR250R(MC16)のエンジン。
基本的には、HRCのマシンと同様の構造であることがわかります。キャブレターはニ連装の強制開閉式フラットバルブ。ワークスマシンよりむしろ洗練されている印象すらあります。こういったプライオリティの錯綜は、当時いたるところに見られました。いかに急ピッチの開発であったかが解ります。スパークプラグの位置が、横にずれているのがわかるでしょうか?これは、Fタイヤとの干渉を避けるためです。HRCのマシンでは、NGK特製のコンパクトプラグで完全なセンタープ ラグを実現していたんですね。見比べてみてください。

左が、市販の2ストロークで一般的に使われるB9ES、右がNSR250/RS250R専用プラグです。


 

88年型

72ps/12,500rpm

故ジョイ・ダンロップ選手の、88年型RS250R
リアに、マービック・17インチホイール+ミシュラン・ラジアルを装着しているのは 当時のGPライダーの常套手段。

排気デバイスがサブチャンバー式のATACからタイミング可変式の「RC(Revolutionary Controlled)バルブ」に変更。駆動電源はニッカドバッテリーでした。シートカウルの形状が、’87以降のNSR500に似せたものになっています。ニッシン製のFブレーキが、オープンタイプの新型になりました。

カウルを外すとこんなかんじ
フレームのメインチューブは、NSR250Rとおなじものをつかっています。しかしぜんたいは鋳造品の地肌がむき出しで、「バフ掛け」や「アルマイト 加工」などの化粧は一切されていないので実車を前にするとマシン然として殺風景なかんじもします。

ワークスNSR250は、一見RS250RやNSR250Rと同じメインチューブのように見えますが、実際には肉厚を落として横方向の剛性を調整しているようです。

チャンバーは、プレス整形→もなか合わせで溶接という 加工精度の高い製法。いわゆるホンダ品質。

RCバルブはこんな形。刃物状のバルブが排気ポート上部に格納されてます。これがエンジン回転数に応じて上下し、ポートタイミングを変化させる仕掛け。電池切れは焼きつきにつながるので、充電時期をみはからう必要があった りしてけっこう面倒でした。いまはジェネレーターから電源を取るようになったようです。

ラバーマウントされたメーター類。
電気式タコメーターはレーシングエンジンの吹けあがりに対応したレスポン スの良いもの。常用域は13,000rpmぐらいまで、と極めて高回転型でありながら中速域のレスポンスにも優れるのがホンダ製2ストエンジンの特徴でエンジン性能では、はっきり言ってライバルメーカーを引き離していたと思 います。水温計は、ブルトン管という検出誤差のすくないものを使っています。冷却水はふつうの水道水で、クーラントなどの添加物は通常使いません。推奨水温は60~70℃、それまでの常識からするとかなり低いです。

リアホイールが4,00×18になります。マグテック・ホイールの鋳型が変わってカラーリングがゴールドになり、”MAGTEK”のロゴが入るおなじみの形になりました。しかし厳密には”NSR250R SP”のホイールとも、ハブ廻りの形が違います。

フランスのミシュランタイヤが先鞭をつけた、二輪車用ラジアル・スリックタイヤの開発競争でしたが、国内はまだ、バイアスからラジアルへの過渡期で、 DUNLOPはラジアルの前輪を市販していませんでした。BSは前後ともラジアル。

’88NF5の諸元表

車名 NF5
全長 1,944mm
全幅 644mm
全高 1,067mm
軸距 1,342mm
半乾燥重量 104kg
最低地上高 104mm
キャスタ 23
トレール 80mm
リアサスペンション プロリンク
タイヤ F:120/590-17 / R:145/630-18
エンジン形式 水冷2サイクルクランクケースリードバルブ90°V型2気筒
総排気量 249cc
ボア×ストローク 54×54,5mm
最高出力 72ps/12、500rpm(レースガス使用時)
最大トルク 4,3kg-m/12,000rpm
キャブレター PJ38
潤滑方式 混合式
始動方式 押しがけ
変速機 常時噛合式6速リターン
標準現金価格 \1,630,000

 

トランスミッションやドライブスプロケットは 、各サーキットに合わせたオプションギアが選べるようになっています。ちなみに鈴鹿サーキット仕様がベースになっていて、鈴鹿を走るには通常ノーマルギアで十分とのこと

サスペンションセッテイングについても同様で、基本的に鈴鹿仕様になっていて、ノーマル仕様で乗り込むのが上達の早道と言われていました。
わたしは、初心者以前のレベルだったので、ドリブンスプロケットを1丁ショートにしてリアサスのイニシャルと伸び側減衰力を抜いたヘタレ仕様で乗っていました。

タイヤサイズはあくまで目安です。なにしろレーサーマシンですからタイヤの仕様変更はしょっちゅうですし、ライダーの好みでリム・サイズを変更する場合もあります。またレインタイヤだと、じっさいのタイヤサイズが違ってきます。(ラウンド状で幅が狭い)HRCでもF3、00/3、25/3、50 / R4、00/4、50/4、50×17等々たくさんのサイズのオプションホイールをそろえて対応していました。

夏と冬ではコンパウンドも違ってきます。夏コンパウンド/冬コンパウンド/レイン用と数本のスペアタイヤセットが必要になり、それらを組み込むスペアホイール(前後セットで10数万円、テクマグやマービックになるともっと)までを含めると、大層な出費になります。

キャブレターのジェット類には2~3番とびのオプションが用意されていて主にMJ(メインジェット)を交換することで、気候にあわせたセッティングを施します。SJ(スロージェット)JN(ジェットニードル)等は1度マシン、ライダーに合わせたセッティングが出ると、同コースでは、年中同じセットで通用すると教わりました。

※SJ(スロージェット)。
レーシングキャブはアイドリングさせることを前提としてないのでPJ(パイロットジェット)と呼ばず、こう言います。

市販車のNSR250Rが、発売後わずか1年でフルモデルチェンジといえるほどの改良を受けて ”MC18”になります。更に乾式クラッチやクロスミッション、 41mm径のカートリッジ式フォーク、各部を調整可能にしたリア・ショック、マグテックホイール等を標準装備したSPモデル(公道走行可)がこの年からバリエーションとして追加。

’88 NSR250R SP
当時の峠少年たちの憧れの的だった「ハチハチ・エスピー」ですね。WGPのメインスポンサーだった”Rothmans(ロスマンズ)”のカ ラーリング「ワイン・ガードナーレプリカ」あるいは「八代俊二レプリカ」ということ になりますね。

ステアリングヘッドやスイングアームピボットが中空構造になったり、ラジアルタイヤが装着されたりなど、かなりドラスティックな変化をみせた モデル。”MC16”とは似て異なるバイク、というのが当時の印象でした。電装系には、知能的な統合制御を目指した「PGMシステム」が初採用され ています。ちなみに、Fフェンダーには、切り取り線がついていて
これに沿ってカットすると、RS250Rのフェンダーとまったくおなじに なるという お楽しみサービス?付き。

”NSR250RK”も、これをベースに性能を強化。HRCノウハウで改良を施されたSP(スポーツプロダクション)、TT-F3のYEARモデルが毎年登場することに。「これっていちおうプロダクションレーサーなんっすけどー 」みたいな世界。かえすがえすも、すげーや


 

89年型

72ps/12,250rpm

ジム・フィリス/TEAM EDWIN HONDA RACING USAの89年型RS250R
かなりストックに近い外観です。レギュレーション改正で、バネ上がFアクスルより前に出てもよくなったのでFカウルがスラントノーズになっています (ワークスNSRは88型から)。サテライトチームのマシンということで、Fフォークまわりはワークスマシン用の、マグネシウムFフォーク/TRAC付きブレーキに替装されています。これぐらいの年式になると、おそらくTRACはキャンセルされてるかも。

※このころからホンダは、”NSR250”や”RS250R A Kit”の供給を受ける有力プライベーターをサテライトチームと呼称して、他のプライベーター と選別するようになりました。Aキットのはなしはまたいずれ…

ホイールがF3,50×17/R4,50×18に。フレームのメインチューブが5角形断面になりました。

どうにもマズイ絵ですが、フレームの断面は、概ねこんな感じになるかと…。ワークスNSRは、87年型からこのカタチです。

NSR250Rはまたもフルモデルチェンジともいえる大幅な改良。

’89 NSR250R
ブラックベースの「伊藤真一レプリカ」カラー

内容はRS250Rとほぼ同様。ただしフレームは88年型で既に5角形断面のツインチューブになっていました。エンジンは、電装系のファインチューニング等で ややマイルドな特性に変更されているようです。

エンジン回転数とスロットル開度(開閉スピードも)を検出し、三次元マップで前後シリンダーの点火時期を別々に演算、決定する 「PGM・CDIイグニッションⅡ」アクセルの急開に追随して、進角特性を瞬時に変化させる「ワープ点火」エアブリードにつながる2つのエアジェットをソレノイドバルブで開閉する 「PGMキャブⅡ」減速フィールの向上までを追及した「RCバルブⅡ」などなどを装備。総称して「PGMシステムⅡ」と呼称していました。のちにRS250R(NX5)に採用される、統合的なエレクトロニクス制 御をずいぶん前に採用していたわけで当時の二輪車としてはかなり突出していた感があります。

PGMシステムⅡのコントロールユニット


 

90年型

76ps/12,000rpm

丸山浩選手/JECS MOTOR SPORTS PROJECTの
90年型ホンダRS250R

フレームのメインチューブが、断面の縦 横比の見なおしを受けています。

またもやマズイ絵ですが…だいたいイメージしていただけたら幸いです。
ワークスNSRは、89年型からこのカタチです。3年間で、都合2回の変更… 剛性バランスの調整にはかなり苦心したことがうかがえます。

Rホイールが4,50×17になりました。これで、前後17インチという現在主流のタイヤサイズが 市販マシンに普及したことになります。

ラジエターが平面タイプから湾曲させてコア面積を稼ぐラウンドタイプに変わったのはこの90年型から、だそうです(エディさん情報)
追って画像をアップいたします。
工事中

チャンバーが伝統の?とぐろチャンバーからストレートタイプになったのでそれに合わせて 、スイングアームも目の字断 面の”Gull Arm(ガルアーム)”になります。

ガルアーム三態

ワークスNSRのガルアーム。
プレス整形でしょうか?削りだしでしょうか?工芸品的な完成度。 89年型からこのカタチになりました。

RS250Rの目の字断面ガルアーム。一見しただけでは、そうと解りません。

市販NSR250Rのガルアーム。
引きぬき材と鋳造部品をうまく組み合わせています。

「elfガス」と呼ばれる、超高価なプ レミアムガソリンが流通しはじめたのはこのころ。”elf MOTO 118”というのが90年頃の商品名。価格はリッター700円ぐらいしたそうです。
リサーチ119オクタンや、124オクタンなど種々の製品が開発され、ワークスはもっとオクタン価の高いものを使用していたそうです。SHELLも対抗して同様の製品を投入していたはず。

HRCから「Aキット」「Bキット」と呼ばれる、エンジンパワーアップキットがリリースされました。

Aキットは「サテライトチーム」の若手ライダー向けに開発されたものでエンジン本体やチャンバーの他に電装系、キャブレターまでを含み、 原則としてリースのみの非売品。
Bキットは、その他のトッププライベーター向けでシリンダー、シリンダーヘッド、チャンバー等のセットからなり、 HRCの代理店を通じて購入できるもの。

Aキットに含まれるワークス仕様キャブレター、通称「白いキャブレター」。


Kawanishi Power の和田さんから画像を提供頂きました。マグネシウム・ボディーだそうです。PJ(パワージェット)が付く前のモデルのようです。

91年の全日本には、これらの先行開発も兼ねて新垣俊之選手の「ホンダRS250R」が ”TEAM HRC”から ワークス参戦しています。

NSR250Rが三世代目の”MC21”に。改良内容は、RS250Rと同様。電装系は、ギヤポジションセンサーまでを組み込んだ ”PGM-Ⅲ”に進化。エンジンは、シリンダ、シリンダヘッド、吸気ポート、クランクシャフト などが新設計された実質的な新型。ある意味NSR250Rの完成形といえるかも…。

’90 NSR250R SP
この尻上がりなスタイルがいかにもレーサーっぽくて「ホンダさん商売上手!」とか思ったのを思い出します。

TT-F3コンプリートマシンの”NSR250RK”はこの型が最終モデル。91年ごろのIA・TT-F3クラスのスターティンググリッドは ほぼこのマシンで埋め尽くされてたのを思い出します。


 

91年型

82ps/12,250rpm

クランクシャフトが新設計されています。
キャブレターを前後長の短いPJ38Sに変更。Rホイールは遂にR5,25×17という5年まえの500cc並のサイズに…。それに合わせて、チェーンラインと、スイングアームの設計が変更になっています。マグテックホイールは、リムの薄肉化などで軽量化を施され、 塗色がワークスカラーの白に変更されました。

「MSレーシングプロジェクト(ヒリュー)」や、”Jha”などのスペシャルチューニングを施された RS250Rが全日本ロードレースで活躍したのはこのころ。


 

92年型

82ps/12,000rpm

「完全体○ル」じゃなかった…
”NF5”の最終進化形。

FフォークをSHOWA製倒立に変更。Rショックをサブタンク一体式にして流路抵抗を低減。

水温系がデジタルメーターになりました。
ガソリンタンクが全長の短いものに変更されています。


 

あとがき

 

ワークスマシンNSR250から、市販車のNSR250Rまで、さまざまなバリエーションを生み出しながら進化を続けた「ホンダRS250RW」系も、ライバルマシンの台頭でさすがに基本設計の旧態化が目立ってきました。

エンジンパワーでは、依然他を圧倒するものがありましたがハンドリングには、ある程度以上のペース、たとえば鈴鹿では2分20秒以内とかで周回するととたんに難しく感じられ、車高をいじったり圧側の減衰をいじったりといった、いわゆる「足回りでハマった」状態に陥りやすいという問題が当初から指摘されていました。「とにかく足回りはセッティングしていかないかんよ」というのが、ベテランから初心者への申し送りのようになっていたように思います。

そして、VツインTZや、Vγ、アプリリアの台頭と呼応するかのようにシャシーのディメンションから見なおされた次世代モデル”NX5”が93年から発売されることになります。

92年の全日本に先行投入された「ホンダRS250R(NX5)」
第9戦鈴鹿で二位に入賞した匹田禎智選手/TEAM MEIKO MS-R.Pのマシン。つづく三位も市販”NX5”の宇田川勉選手でした。このレースでは、他にも青木琢磨選手が一時トップを走るなどワークスに匹敵するポテンシャルを見せました。

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